阿弥陀経に学ぶ 第52回

  ただ聞くよりほかなき教え
   <同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>


舎利弗、如是今者 讃嘆阿弥陀仏 不可思議功徳 東方亦有 阿シュクビ仏 須弥相仏 大須弥仏 須弥光仏 妙音仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 偏覆三千大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称讃 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経。

 舎利弗、我がいま阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃歎するがごとく、東方に、また、阿シュクビ仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし

 これからは、東南西北上下の六方の諸仏が、『仏説阿弥陀経』に説かれる念仏こそ真実であることを証明されるのであります。昔からここのところを六方段と申しております。お経はたいへん豊かな表現で説かれてありますので、くり返し心して拝読して、一人ひとりが諸仏のおすすめを身に聞くことが願われます。けれども深いものを浅くすることを恐れながら、先輩のご指南によって、諸仏の思召をたずねたいと思います。

 はじめに、お釈迦さまお一人の証明でよいではないか、どうして六方の諸仏が証明されるのかということ

が考えられますが、一つには念仏は容易に信じられない法であるかち、疑い深い凡夫は信を得ようとしないので、諸仏が証明しおすすめになるのである。もう一つは、いろいろの人があって、東方の阿シュクビ仏の証明でご縁を結ぶ人もあり、南方の日月灯仏、あるいは西方の無量寿仏で疑いがはれる人もあるので、カンジス河の砂ほどの諸仏が証明し、おすすめになるのであります。

 聖人はこのことを大事にされました。ということは、一人二人の言うことは信用できないが、インド、中国、日本の三国の無数の諸仏が身をもって証明して伝えてくださったおすすめあればこそ、自分のような者も、念仏の信を得ることができたのであると。聖人は法然上人のご縁によって念仏門に帰入されましたが、帰入してみると、その背後には三千年の無数の諸仏が、ここまで届けてくださったご苦労がある。その遠く深い因縁は、まったく親鸞一人がためと受けとられました。

 ですから六方段は遠い国のことが説かれてあるようですが、私どもの身近に響き流れているのであります。『阿弥陀経』のご説法の座にいる人々に、今日を生きる私どもに、念仏の法のみが永遠常住であり真実であると…。念仏を信じ真の人間として、この生をまっとうさせてやりたいという大悲から、ご苦労くださっているのです。

 近代の人々の意識は、科学万能であります。科学さえ発達すれは、人間の問題を含めてすべて解決するという意識によって歴史を積み上げてきましたおかげさまで科学も技術も経済も文化も、めざましく発達しました。しかし、かたちは立派にできましたが、一歩さがって内面はどうかと申しますと、恵まれたこと以上に困ったことに頭打ちをして、不安な空しい心に閉ざされ、苦しみや悩みを深めております。

 ある週刊誌の広告に「もういい、虚妄の繁栄」とありましたが、私はたいへん考えさせられました。少しさめた心でみると、虚妄の繁栄でないか。それならどうなることが真の人間であり、真の繁栄であるかを手さぐりしておりますし、今日は政治、経済、教育、私どもの家庭も、どの面を見ても結局、人間を問わなければならないことにそりました。それは誰かが問うているのではありません。時代が「人間とは」と問うているのであります。

 こういう時節にあって、まじめに人間を求める人々の中に、親鸞聖人の教えを聞こうという気運が高くなっていると聞いております。聖人についての本を読むとか、あるいは数えを聞くいろいろな集いが生まれつつあるようです。科学万能にたよる考えは、分を忘れた思い上がりである、とを反省して、今日こそ私どももまた、諸仏のおすすめに耳を傾け、念仏の真の利益にあずかりたいことであります。


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