ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
又舎利弗、彼仏寿命 及其人民、無量無辺 阿僧祇劫、故名阿弥陀。舎利弗、阿弥陀仏、成仏已来、於今十劫。
また舎利弟、かの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇劫なり、かるがゆえに阿弥陀と名づく。舎利弗、阿弥陀仏、成仏より已来、いまに十劫なり
次に「また舎利弗、彼の仏さまの寿命も、その国の人々の寿命もはかりなく、阿僧祇劫という人間で考えることのできぬ、永い深い命である。だから阿弥陀と名づく」と、お説きになりました。
光明は私どもの世界を外から照らされる智慧のはたらきであると申しましたが、寿命は寿という命です。ただ命が永いというだけでなく、私どもの内に深くなり下って、永く願いをかけてくださる慈悲をあらわします。その慈悲の徳のはたらきを、阿弥陀と名づけるのであります。
お経には、仏さまの寿命がはかりないだけでなく、その国の人々の寿命もはかりないとあります。どういうことかというと、私どもはややもすると、お慈悲というと外からお慈悲の心で包んでくださるように受けとりがちです。ありがたそうですが、包んだものは破れてしまいます。ですから仏さまは私どもの苦しみ悩みを、自分の苦しみ悩みとして、私どもと命をひとつにして同感されるお心が、大慈悲心であることが教えられております。
しかもその寿命がはかりかく、阿僧祇劫であるというお言葉に、迷いの深いお前の居る間、永劫に休息することができないという、ご本願のおぼしめしが仰がれます。例えてみれば、行状のよくない息子さんを持って、たいへん心配していた父親が、「あの子のことを思うと死ぬにも死にきれぬ」という一言を奥さんに言い残して亡くなりましたり
後ほど、母親から聞いたこの一言が、息子さんに焼きついて、ついに立派に立ち直りました。今においても、あの言葉は忘れられぬ。私ほど親不孝者はありませんと、述懐しておられますが、親を思うところに、親の命はいつでも生きてはたらいているのでしょう。そのように、常に私どもになり下って、迷っているお前の居る間、仏になることはできないと、身を投げ出してどこまでも迷いを共にしてくださる、仏さまのご苦労が示されております。
続いて「阿弥陀仏は成仏よりこのかた、今に十劫なり」と仰せになりました。
『無量寿経』には、「成仏より已来、おおよそ十劫を歴たまえり」とあります。光明無量、寿命無量の仏さまは、仏になられてすでに十劫を歴ておいでになります。劫というは、四十里立方の石を、三年に一度ずつ天人が羽衣でぬぐって、磨滅するのを一劫といいます。十劫とはそれを十倍した大変永い時間です。
仏さまは十劫という永い間、迷いの人々をあわれんで、南無阿弥陀仏と呼びかけ、願いをかけてめざめのときを待っていてくださっております。しかるに私どもは、無明に閉ざされて呼びかけを聞こうとせず、その願いに背いております。その罪で、自分で苦しみや悩みを深めておりますが、幸い因縁が結ばれて名を聞き、この願いにめざめるなら、そのお徳をいただいて、お助けにあずかることができるのであります。
「今に十劫なり」のお言葉には、今、目がさめて、仏さまに遇うことができた喜びと、仏さまに背いて流転してきた、深い痛みがあらわされております。遇うのは今ですが、そのよってきたる因縁は遠く深いのです。十劫の昔から、待たせていた身でありました。「待たれる身になっても、待つ身になるな」と言いますが、待つことは待ち遠しいことです。十劫の間、待ちに待ってくださった仏さまと、背いて逃げる者との因縁が結ばれて、今遇うことができるのであります。
一劫二劫なら、私どものごとき者は、とても遇うことができなかったでしょうに、十劫を歴てくださったおかげで、たまたま遇うことができるのでありました。
その感動を親鸞聖人は、「噫」の一字に収め、「遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」とも、「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり 法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり」と和讃をし、そ喜びを讃嘆されました。
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