ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
復次舎利弗、彼国常有 種種奇妙 難色之鳥。白鵠孔雀 鸚鵡舎利 迦陵頻伽 共命之鳥。是諸衆鳥、昼夜六時 出和雅音。其音演暢 五根五力 七菩提分 八聖道分 如是等法。其土衆生、聞是音已、皆悉念仏念法念僧
また次に、舎利弗、かの国には常に種々の奇妙雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの衆鳥、昼夜六時に和雅の音を出だす。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この音を聞き已りて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。
極楽浄土の宝樹、宝池、宝華荘厳が説かれましたが、これから法音の荘厳が説かれるのであります。今は鳥音説法といって、極楽にはいろいろの鳥が法音を出して、説法をしております。『阿弥陀経』には六種、『称讃浄土経』には十種の鳥が出ておりますが、「もろもろの衆鳥」とありますから、いろいろの種類の数多い鳥がいるのでしょう。
白鵠は鶴の一種で、日本でいう白鳥をいいます。孔雀は多彩な鳥ですし、鸚鵡は人の言葉を語ることはご存じのとおりです。舎利は鷲鷺と訳して水鳥の一種です。迦陵頻伽は美声鳥とも妙声鳥ともいわれ、美しい声を出して鳴く鳥です。共命鳥は命々鳥とも訳されております。一身二頭の鳥で、「もし一頭が死ぬと供に死ぬ故に共命」というとあります。珍しい鳥ですが考えてみると、この鳥は私どもの願わしい生活の在り方を教えているといってよいと思います。
私どもは一身同体でありたい、平和でありたいと願っておりますが、容易に実現するととができません。日常のありさまは、権利を主張し他を潰して自分を立てようとしますが、身は一つですから他の潰れたときは自分も潰れる道理で互いに潰し合いをして苦悩を深めております。けれども私どもの本当に生きている世界は、頭は二でも身は一で、仏さまの命に生かされて生きているのですからこのお命をいただいて一歩退って向こうを立てるならおのずから自分も立つことができて、願いの満たされる生活が与えられることが教えられております。
さて極楽ては、このもろもろの鳥が昼三時、夜三時昼夜六時に和雅の音を出して鳴いております。和はよく調和のとれた、雅は道理にかなったみやびやかな声を出していることで、いろいろの鳥がいるけれどもよく調和がとれて、美しい声を出して鳴いております。その声にどのような響きがあるかというと、五根、五力、七菩提分、八聖道分という、仏になるための法の徳を説法しております。流暢で少しの渋滞もありません。
五根は、根は「出生の義」といわれ仏道を修する心根で、根から幹や枝が出るように、この根のはたらきによって仏さまの徳が与えられます。五根は信、進、念、定、慧の五です。信根は苦悩を除こって仏にしてくださる仏さまの教えを信ずる信心です。蓮如上人の『御文』に「信心をもって本とせられ侯う」とあるように、信心が中心であります。進根は精進根で、精進は心を励まして仏道を求めることですから仏さまの教えを聞くことに身を引き立て努め励み、信心を生活に実践することです。第三の念根は、数えを信じ念仏することを忘れない。定根は、定は心の安らぎですから、念仏して寂かな心で生活することです。
次に五力は、五根が力となって現れてくださる五種のはたらきです。信力進力、念力、定力、慧力です。信力は教えを信ずると、「信は力なり」といわれて、信心のはたらきによって、いかなる悪も善に転じ、人生を生きる力が与えられます。進力は、信力によって精進する力が出てくる。私どもは懈怠に止まりたいのですが、常に身を引き立てて教えを聞かずにおれぬようになり、生きがいをもって仕事に努力する力が出てまいります。
定力は念仏の信心を依り処として歩みますので、いかなることに出会っても、依り処を見失わず常に定力にたちかえって人生を尽くすことができる。慧力は、人生を正しく見、正しく処する智慧がはたらきますから、「現前の境遇に落在」して、力強く生きることのできる、智慧者にされるのです。この慧力がつかないと、本当の仏法者とは言えないでしょう。
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