ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
舎利弗、彼土何故 名為極楽。其国衆生、無有衆苦、但受諸楽、故名極楽
舎利弗、かの土を何のゆえぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなし、但もろもろの楽を受く、かるがゆえに極楽と名づく。
お釈迦さまは、はじめに極楽世界を要約してお説きぐださいました。これから、国土荘厳である極楽が広く述べられるのであります。まず、「かの土を何のゆえぞ名づけて極楽とする」と、極楽の名について述べられます。『観無量寿経』と『阿弥陀経』には、極楽とありますが、『無量寿経』には安楽とあります。また浄土とも涅槃とも言われます。
親鸞聖人は、安楽とか浄土とか涅槃を多く用いられ、極楽の名はほとんど用いておられません。この言葉は、とかく人間の分別で受け取られ、快楽主義に誤解されやすいからかもしれません。
しかし蓮如上人は、主として極楽の名を用いておられます。おそらく戦乱の渦に巻き込まれて、苦しい中から楽を求めている当時の人々に、一番近づきやすい極楽の名を用いて、極楽を願えと呼びかけ、どんな苦しみも受けて歩むことができる、目覚めた人になって欲しいと切に願われたからでありましようか。ですから蓮如上人も、『御一代記聞書』に、「極楽はたのしむと、聞きて、参らんと、願いのぞむ人は、仏にならず。弥陀たのむ人は、仏になる」と戒めておられます。念仏と極楽ほど、いつの時代でも誤解と戦いながら伝えられた教えはないと言われておりますが、このごろもまた本来の意味が曇って、人間の都合のよいように受け取られております。
第一に極楽というと、ただ単に死後にあるように考えられておらます。この世は思うようにならなかったが、念仏をすれば死後極楽という、よい所へ行ける。ですから年老いてから、死後のために聞く教えのようになっております。といっても本当に行けるかというと、極楽から何の応答もありませんので、ついに安心することができません。
このごろは若い人が法を聞かぬと言いますが、聞く気がないのでなく、聞けるような教えになっていないのでないかと思います。その昔、親鸞聖人の所へ聞きにきた人々は、二十歳、三十歳位の人で、往生極楽の道を聞いて、感動して立ち上がったと言われております。若い人だけがよいとは言えませんが、極楽の教えがいかにも人間的な快楽主義によって、汚されていることを、痛いほど感じます。
第二に、極楽はあるかないかということが、常に問題になります。これは分別で外から眺めて極楽を実体的に受け取っているからです。苦しみや悩みを経験し、その中に閉ざされている人は、苦しみや苦楽に惑わぬ生活者になりたいと願っているにちがいありません。この願いに応えて建てられたのが、阿弥陀仏の極楽世界ですから、極楽は皆の人が哀心より願っているところですし、また願わなければ人生は成り立たぬようになっております。
それでは、極楽はどういう世界かともうしますと、『阿弥陀経』に、「その国の人々は、もろもろの苦しみはひとつもなく、ただもろもろの楽を受くる」ことができるとあります。
『称讃浄土経』には、『阿弥陀経』の「もろもろの苦しみはひとつもなく」を、「身心の憂いや苦しみは、ひとつもなく」とあり、「ただもろもろの楽を受く」を、「ただ無量清浄の喜びや楽がある」と、説かれております。ですから極楽は、身心の憂いや苦しみがひとつもなく、人間では量ることのできぬ清浄の喜びや楽のある世界であります。
ところが私どもの人生はいかがでしょぅか。楽を求めて努力しながらも、どれだけの人が楽を手にして満足しているでしょうか。楽を願いながら、その願いが破れて悲しいはめに落ちて、多くの人々は苦しんでいるではありませんか。たとえ楽を手にしても、それがまた苦しみになります。
例えば、早く財産を譲って楽になりたいと願っていたが、願いが実現し、やれやれ楽になったと思うその下から、「今日まで何をしてきたのか」という、空しい心におそわれて、生きる方途を失うことになります。ならぬことも苦しみなら、なることも苦しみです。ですから仏さまは、人生は一切苦と受け取れと教えられます。苦しみも苦しみなら、楽も苦しみです。人生はどうなっても苦しみであります。
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