ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
及繹提桓因等 無量諸天 大衆倶
および釈提桓因等の無量の諸天・大衆とともなりき。
お釈迦さまがこの『阿弥陀経』をお説きになったその場に、お集まりになっている1250人の出家のお弟子方と、さらに多数の菩薩方についての記述は終わりましたが、これだけではないということで「及」という文字が置かれています。ここで出てくるのは当時のインドの神々であります。いろいろなお経に、人天とかあるいは逆に天人という言葉が、たびたび出てきますが、これは人と天、あるいは天と人ということで、人間ともろもろの神ということであります。ということは仏教が人間だけでなく、神をも包んでいるということであります。
お釈迦さまご在世の当時インドは、民族宗教であるバラモン教の勢いが盛んで、人々から絶対の信仰を集めていた神が多かったのですが、中でも梵天、帝釈天がひときわ目立って民間に広く尊崇されていました。梵天というのやインド語で、ブラフマンと呼ばれ、この神は全世界を平和にととのえ治めていられる最高の神といわれていました。
それに対して帝釈天というのが、今この『阿弥陀経』に出ている釈提桓因であります。難しい字が並んでいますが、原名はシャクロー・ディヴァナ・インドーというので、それを漢字に当てはめたのですが、この神は天空を駆けめぐって、魔を退治して大いにあばれまわりますが、休息しているときはソーマ酒(祭祀用の酒)を飲んで陽気に唄うというところに、古代インド民族の異民族征服欲の一面と、半面に持つ陽気さをあらわしたものとして、民衆からたいへん親しまれ、また大切な雨をもたらす稲妻をともなう雷として恐ろしさと人気のある神でありました。
この二神はともに、梵天・帝釈と並んで、仏教守護の神として広く伝えられていますが、このお経では帝釈天が代表的にあげられています。しかし梵天という神も大切に考えられています。というのは、お釈迦さまが証りを開かれた直後、このように思われました。
「私の見つけた真理は、いまだかつてだれも見つけたことのないものであり、これをだれかに語っても、とても理解されることではなかろう。さすれば私はだれも見つけることのできない偉大な真理を見いだしたことになる。これで私の仕事は終わった。以後は黙ってこの真理を味わうことにしよう」と。
こんなこともありました。証りを開かれた直後、静かに座っておられたお釈迦さまの前を、一人の婆羅門が通りかかりましたが、まことに気高いお釈迦さまのお姿に驚いて、思わず立ち止まってお尋ねしました。
「あなたはどういう方ですか」。これに対して「私は仏である。これ以上ないという真理を見つけたものである」と答えられましたが、そう聞いてもこの婆羅門は、「そうかも知れぬ」とつぶやき、何度も何度も首をひねりながら立ち去って行ったといわれます。こんなこともあってお釈迦さまは黙してしまわれました。
世界を平和にととのえておさめようとする梵天は、お釈迦さまの決心に心を痛め、なんとか法を説いていただきたいと懇願いたします。「仏がその証りをお説きになっても、おそらくわからぬ者が多いでしょう。しかしまたわかる者も必ず出てまいります。そしてこのわかった者たちが、大きく世の中を動かし、仏の見いだされた法が世の中をととのえ、安らかさをもたらすであろうと確信いたします。どうぞ証りをお説きください」。梵天の切なる願いにこたえてお釈迦さまは、お証りの日から七日たって説法をはじめられました。この梵天が説法をおすすめしたことは、「梵天の勧請」といって仏教では大切に考えられています。
ついでに申しておきますが、この梵天の奥さまはサラスケアティーと呼ばれ、インドの民衆から親しまれて、今でも盛んに各町内で、この神を祭るにぎやかなお祭りがあります。日本では弁天さまと呼ばれていますが、インドでも琵琶のような楽器を持っています。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上と、これを六道といって迷いの境界といわれますが(天上というのが神の世界ということで、インドで考えられてきた神々も、結局は迷いの境界であって、神も油断をしていると、功徳を失って下界に転落してしまうとも考えられていました。
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