ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
阿逸多菩薩
今度は次の阿逸多菩薩でありますがこれはアジタというインドの名前がそのまま漢字であらわされたものであります。また、もう一つの『阿弥陀経』がありまして、名前を『称讃浄土経』といいます。このお経は三蔵法師の名で知られている玄奘の翻訳で、ここでは中国の言葉になおして無能勝となっています。これは「よく勝れるもの無し」ということで、この人よりすぐれた人はいないということですから、この意味からいうと最高の菩薩ということになりましょう。
この菩薩の一般的に知られている名前に、マイトレーヤというのがあります。普通には弥勤と訳されて伝わっています。『無量寿経』にも出てこられて一役買っておられますが、ここでは弥勤という名と慈氏という二つの名前であらわされています。
弥勒というのは、インドの原名をそのまま漢字にあてはめたので、慈氏というのは、その意味をあらわした名前であります。日本流に分かりやすく申しますと弥勒あるいは慈氏というのは姓、阿逸多は名であります。インドでは尊ばれ誇りにされる姓が18あったのですが」慈という姓はその中の一つでありました。
慈氏というのは、特にこの菩薩の特微をあられしますが、この菩薩が慈氏と呼ばれるのには、三つの理由があるといわれています。
一つには、この菩薩は自ら慈悲に徹した仏になりたいという願いを持たれそれを成就しようとしてはげまれたこと。二つには、慈心三昧といって、ひとすじに慈悲のことを思いつめていられたこと。三つには、この菩薩が母の胎内に宿られたときに、みごもった母がにわかに慈悲の心が強烈になってきて、困った人に憐みをかけ慈愛をおよぼし、すべての者に同じように接するようになったというのです。驚いて占師に見せたところ、これはお腹の中の子どもの心があらわれているので、必ず、たいへん慈悲の深い子どもが生まれるであろう、と予言したといわれています。この三つの点でこの菩薩を特に慈氏菩薩と呼ばれているということであります。
この菩薩の出生地はさまざまにいわれますが、大体、南インドのコーサラ国というのがあたっていると思われます。この方のお釈迦さまとの出会いは自分の学問の師匠であるバーヴァリという人の持たれた問題(これについては長くなりますから略します)を、お釈迦さまにお尋ねして解決を得るために、遠いところからはるばる来たといわれています。
ところがお釈迦さまのお話を聞いている間に、抱えてきた以上の問題と、このうえもない答えを感じとられて、師匠の問題は友だちを帰して報告させ、自分はそのまま、お釈迦さまのお弟子になられたようであります。
さて、前にも申しましたように、非常にすぐれた点をこの菩薩はそなえていられますが、特にこの菩薩が他の菩薩に抜きんでて尊ばれ、また慕われているのは、弥勒という名で大衆が理解していた点であります。それは何かと申しますと、釈尊の亡きあと、この次に弥勒菩薩が仏となって、この地上に出現されるということであります。これには釈尊の予言もあり、それにもとづいた多くのお経があります。
その中の一つに、「われ亡き後、ずっと先の未来に、マイトレーヤ如来(弥勤仏)がこの世に出て、自ら証りを開いて仏となり、凡ゆる人々を救うであろう」とお釈迦さまがいわれました。この言葉を聞いて立ち上がったのが弥勒であります。
「私がそのマイトレーヤ如来となり人々を救われた世尊と同じようになりたいと思います」。これをお聞きになるとお釈迦さまはこういって弥勒をお賞めになりました。「よいかな、弥勤よ、汝はずっと古い以前から、仏になってすべてのものを救いたいという願いをおこし、無数の人々に道をさずけ導いてきた。汝は必ずマイトレーヤ如来となり、私と同じょうになるであろう」。このように伝えられております。
ここから出発した弥動信仰は、過去2500年の間、すべての仏教徒に希望を与えてきました。もちろん、わが国にもこの心は流れてまいりましたが「特に親鸞聖人の時代には、弥勤信仰が非常に盛んでありました。というのは、仏教はありましたが貴族や僧侶のもので、お念仏の道が開かれるまでは、仏と直接結びつけず、お釈迦さまから遥かに隔たったという実感が強かったのでしょう。しかし、聖人は、弥勒菩薩を待っていてはいつのことか分からぬ、ただ今お念仏をいただいて信心が開けるならば、そこに救いがあるのだと教えられています。
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