ただ聞くよりほかなき教え
<同朋新聞に連載された仲野良俊師・柘植闡英師の講話です>
阿ド楼駄、如是等諸大弟子
阿ド楼駄は阿那律という名で一般に知られていますが、お釈迦さまの父、浄飯王の弟に当たる白飯王の子といわれていますから、お釈迦さまの従弟に当たります。一時釈尊が故郷のカピラ城にお帰りになり、たくさんの人がお釈迦さまの説法に帰依して、多くの出家する人ができました。
そのころ、この阿部律の兄、摩訶男は弟に対して「このごろお釈迦さまの教えを受けて、釈迦一族の中から出家する者が多い。我々のうちだれか出家せねばならぬ。どうだろうか、お前がもし家に残るなら、私は今から出家するし、お前が出家するなら私は家に残ろう」。ここで阿那律は進んで自ら出家することを決心し、兄に家にとどまることを頼み出家いたしました。
その後、阿那律は証りを開きましたが、さらに努力をつづけ「真実をいよいよ深く身につけるためには、欲をおさえ、足ることを知り、できるだけ静かなところにおり、懸命に努力をし、大切なことに心を入れ、心を散らさず、求めて法を聞き智慧を磨くことが大事である」ということに思いいたりました。それを知らされたお釈迦さまは「汝の見いだした八法(少欲、知足、閑居、精進、正念正定・多聞智慧)は証りを深める、確かな法である。よくぞ見つけた」とほめられました。
こういう熱心な人でありましたが、悪い癖が出て、お釈迦さまのお説法の最中に居眠りをしました。そのとき釈尊は阿那律に対して「お前は世間の生活の煩わしさを逃れるために出家したのか、あるいは盗賊、災難を恐れて出家したのか」とお尋ねになりました。阿那律は恐れ入って申しあげました。「私は人間として生きることにつきまとう苦を離れるために出家しました」。釈尊はすかさず、「そのような深い心で出家をしておりながら、なぜ大切な説法の最中に居眠りをするのか」。このおとがめが強く心に響いたのでしょう、深くこのことを恥じて「今後は眠らない」という誓いを立てて眼に無理をしましたために、ついに失明いたしました。まじめさから大切なものを失ったのでありますが、その代わりに、いわゆる天眼を得て、肉眼よりもいっそうすぐれたものを身につけたと伝えられています。
そこで天眼第一と評判されたのであります。が、あるとき、衣の破れを繕ろおうとしたのですが、眼が見えないために、針に糸を通すことだけはできないので阿那律は思わず独り言をつぶやきました。「ああ、だれか功徳を愛する人がおって、私のために、この針に糸を通してくれないだろうか」と。すると、すぐそばに声がありまして「我、功徳を愛する、だからその針に糸を通そう」と聞こえました。阿那律はハッとし、これはお釈迦さまの声だと知って非常に驚き、また喜んだのでありますけれども、不審に思ってお尋ね申しあげました。「世尊、世尊は仏さまでありますのに、なおいまだ功徳が足りないのでありましょうか」。お釈迦さまは答えられました。「私は仏の功徳によってこの世に仏となって生まれた。だからその功徳のご恩に報いるために、私は功徳をますます求めろのである」。このように答えて阿那律の針に糸を通されたと伝えられております。
以上で代表的なお弟子の16人の紹介は終わりますが、それを結んで「是の如き等の諸の大弟子」といわれています。これはすぐれたお弟子が、ここにあらわされた代表的な16人の方だけではないということで、この他に説法第一といわれた富楼部、解空(空ということを証る)第一といわれた須菩提などがおられ『無量寿経』では31人の方々が挙げられております。
さて、仏弟子の方々を少し分からせていただきまして感じさせられますことは、これらの方々の中にお釈迦さまの実子・羅喉羅、異母弟の難陀、従弟の阿難陀・、那律(この他にもありますが)などおられて、お釈迦さまのまわりをとり囲んでいられるということ、これらの人々との間に釈尊は、自分は仏である、他の人々は弟子であるということだけではなく、人間としての深い宿縁に、あたたかく結ばれておられたということ、このことからお釈迦さまが、世界の聖人方と比べて、人情味の豊かな中に生涯を過ごされたこと、このことがお釈迦さまの教えの中に溶けこんでいて、仏教そのもののあたたかさを感ぜずにはおれないのであります。
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