嫁と姑は人間の積年のライバルらしい。そんなライバルにあることを嫌って、近頃は核家族や二世代住宅で、玄関も台所も別々。いや、まるでアパートに住んでいるようなものが流行している。その方がイザコザが起こらず気楽だそうだ。
最後の時は、ひとりぼっちで、手も握ってもらえずに、あの世とやらへ出発か?。
元気なうちは、「あんたの世話にはならん!」と一度は言ってみたいセリフである。
しかし、よー見てみ!
やがて歳をとって、よぼよぼしかけると、近所のお医者さんへ薬をもらいに行くにも、足元がおぼつかなくなってくる。
一人で老人車を押して行けるならいいが、ついつい嫁に
すまんけど、医者へつれて行って
と言わねばならない日だってある。
ところが、「あんたの世話にはならん!」と言っていた手前、正直に言いずらい。
あした、病院へ行かんとあかんのやけど
言った者は水に流す。言われた者は石に刻む。という諺があるが、「あんたは、私の世話にはならん、と言うたやないか!」と・・・・。
やれ洗濯の仕方が下手だとか、やれ、おかずの作り方が・・・・。箸の上げ下ろしにまで難癖をつけ、チビリチビリと嫁いびりの過去がよみがえってくる。人をいびるのは最高の楽しみだそうだ。ただし、自分が元気で優位に立っているときは・・・。
一つの屋根の下で暮らしていても、本当の居場所がなくなってしまう。人は、必ず誰かの世話になっていくものだ。そんな日は誰にも必ずやってくる。
「あんたの世話にはならん!」と言う言葉は、絶対に言ってはならんこと。
絶対に思ってはならんこと。
すまんなー。最後はあんたにおしめを替えてもらうんやからなー
と、何故にいたわり合って行けんのやろー?。
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