お母ちゃん、今度の運動会に靴買って!
この前買ったとこやないか? まだ新品同様やで?
クラスの子、みんな新しい靴履くそうや。それも、横に赤いストライプの入ったのを!
みんながか?
そうや!
で、運動会に行くと、真っ赤なウソ。だまされたーってことはありませんか?
どうも私達は、みんなと同じことをやり、同じものを食べ、同じものを着て、・・・・。
会社の制服もそうだ。そりゃ揃っていたらきれいかもしれないし、どんどん派手になって、遊びか仕事か区別がつかなくなるかも知れない。
「タンゴも百架」と言う諺があって、あの汚い(?)肥タンゴ(下肥…ウンコを入れて畑の肥料にするため、天秤棒で担いで運んだ木製の桶)も百個も並べるときれいに見えると言うことだ。
詰め襟の黒い学生服を着ているのは日本だけらしい。因みにあの学生服は、明治時代の文明開化の残滓で、イギリスの海軍の制服を模したものだそうだ。
また、女子の制服のセーラー服は、もちろん海軍の水兵さんの上着であることは百も承知。
もう10数年も前のこと。
中学校の通学用の自転車で物議をかもしたことがある。何段変速かの装置がついて、値段は5~6万円もする。ところが、スーパーマーケットでは1万円強で自転車が売ってあった。赤い自転車である。通学用自転車で赤は派手でダメとか、どのレベルを基準に派手というのか、あるいは、変速装置は通学用に必需なのかとか・・・・。
丸刈りの問題もあった。
やれスカートが長いの短いの・・・・。
ひところ長かったスカートが、今は少し短めだ。
小田原提灯みたいなソックスも、瞬く間に広がった。
ハイレグがいいと誰かがやり出すと、ハイレグが町中を謳歌するかもしれない。
みんなと一緒なら安心するのかな。赤信号みんなで渡れば怖くないということだろうか?
佛説阿弥陀経の中に、青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔(ショウシキショウコウ オウシキオウコウ シャクシキシャッコウ ビャクシキビャッコウ ミミョウコウケツ と読む)と説かれているところがある。
黄色の花は黄色い光を出し、赤い花は赤い光を出し、白い花は白い光を出している。そしてそれらはいずれも気高く清らかな香りを放っている。という。
私達の生き様の中では、青い花は青い光を出させようとしません。どんな色の花も、みんな同じ色の光を出さないと気がすまないのです。
違った光を出そうとすると、みんなが寄ってたかってそれを押さえにかかります。イジメもそんな世界ではないですか?
命が出す光は、それぞれみんな微妙に色が違うと思うのです。私の住んでいる町の子どもの作文を紹介します。あるきっかけで学校へ行ったとき、教室の後ろに子どもたちの作品が張り出されていた中の一つです。(先生にはことわっておきましたので・・・・)
すきなもの J小学校5年 N,Sさん
私はミカンがすき
でも あの子はリンゴがすき
私はなわとびがすき
でも あの子はサッカーがすき
私は料理がすき
でも あの子は遊びがすき
みんなそれぞれ好きな物がちがうんだなぁ
違っていることを認めあうことが、本当は大切なのに、違っていないようにとモガキ、違っている!と他人を排除しています。
本当に違っているのは、他人を違っていると決めつけている私自身が違っているのではないでしょうか。
平等というのは、それぞれ異なった光を出してはいるけれど、その一つ一つの命はかけがいのないものだということではないでしょうか。
ただし、個性を伸ばすということと、わがままを容認するということは全く別のこと。違いを認めあう世界は、エゴの主張ではありません。
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