最近、ちょっと調べたいことがあって図書館に出向き、『徳川実紀』というものを読み進んでいる。
金魚・銀魚 [元禄7年(1892)9月5日]
かの有名な「生類憐愍令」というものが綱吉将軍の時代に盛んに出されているのだが、実に傑作というべきものは、府内(江戸市中のことか)の金魚、銀魚の飼育数まで調べているということである。
金魚・銀魚を飼育することは差し支えないが、飼育数をお役人まで届けるようにというお触れなのだ。現代版メジロの飼育許可みたいな思いもして、思わずニンマリしてしまった。
六文銭 [寛保2年(1742)4月]
「此月 又諸寺院に令せらるゝは、葬埋のとき金銀銭あるは六道銭とて、土中に埋るは無益の事なり。されど俗習すみやかに止がたかるべし。其地の寺院より壇越の輩に、無益のことはりをよりより教化し、向後土中にうづめしむべからずとなり。」
最近、死者の葬送にあたって六文銭を一緒に埋めるという風習が広がっているが、無益な事なのでやめるようにというものもある。
三塗の川の渡し賃だとか、あるいは地獄の六道におられるお地蔵様に一文ずつお供えするためとか、いろいろ民間で流布され、今日でも続けられている所があるように聞くが、とうの昔にもそんな事の迷信打破をお触れで出さねばならなかったというおもしろさを感じてしまう。
そういえばもう35年も以前のことだが、私の祖母も寛永通宝6枚を大事にしまっていた。世の中の貨幣価値が変わっているのに、あの世ではまだ一文二文という単位が通用しているらしい。いやそれどころか、そういう六道銭(六文銭)を必要とするのは地獄という世界なのだと言うことを知らないのだろうか?。『十王経』というものには、三塗の川を渡ると、そこは地獄の門であると書かれている。
みんな地獄行きの用意をしているのだから、まあ傑作な思考ですなぁ。
旅人発病病死等処置制 [明和3年(1766)10月23日]
旅人が病気になって困っている時は、村々において看病をし、本人が希望すれば、村から村へと引き継いで、その者の故郷へ帰れるようにしなさいというお触れが出ている。そんなことは煩わしいと放置すれば、その者を泊めた宿主はもちろん、村役人まで重き罪に処する。
これは享保20年(1735)に既に出されているが、ますます守ること。という内容である。
こんな制度が江戸時代にあったということは聞いてはいたが、実際の御触書を見たのは初めてであった。
こんなに優しいお触れもあったのだ。振り返って現在の状況を見ると、「触らぬ神に祟りなし」とでもいうのだろうか、見て見ぬふりをして関わらないようになってしまっているのでは?
人身売買の法度 [享保元年(1716)8月8日]
人身売買はいままでから禁止されていたにもかかわらず、なお今も行われている。けしからんことであるから、こういう法令があることを周知徹底させるようにという事が出されている。
今、人身売買禁止法を云々されているが、「えっ? 日本には法律がなかったの?」と、改めてビックリした。
いや実は、法律に書かれていないからと「抜け穴」を通ろうという考えが蔓延しているのであろう。法律で規定しなくても、倫理として守るべきことすら守られないのが今の状況なのかも知れない。
ついでながら、明治5年に出された太政官布告にこんなのがある。
○第二百九十五号 太政官(十月二日 布) (人身売買禁止)
一 、人身ヲ売買致シ、終身又ハ年期ヲ限リ其主人ノ存意ニ任セ虐使致シ候ハ人倫ニ背キ有マシキ事ニ付古来禁制ノ処、従来年期奉公等種々ノ名目ヲ以テ奉公住為致、其実売買同様ノ所業ニ至リ以ノ外ノ事ニ付、自今可為厳禁事
一 、農工商ノ諸業習熟ノ為メ、弟子奉公為致候儀は勝手ニ候得共、年限満七年ニ過ク可カラサル事
一 、平常ノ奉公人ハ一ケ年宛タルヘシ、尤奉公取続候者ハ証文可相改事
一 、娼妓・芸妓等年季奉公人一切解放可致、右ニ付テノ貸借訴訟総テ不取上候事
右之通被定候条、屹度可相守事
というのであるから、何を今さらと思うのだが・・・。
旧ホームページからの移転