みぞれの降りしきる中を、私は夢中で足を急がせていた。
病気の思わしくない主人に、日頃の好物であった蕎麦を、少しでも早く、熱いうちに食べさせたかったから。
ベッドをハンドルで起こし、どんぶりを持たそうとするが、自分の力では支えきれないほどにやつれ果てた主人の姿に、新たな涙がこみ上げてくる。
主人は働き者で、医者嫌いだった。
具合が悪くなって、無理矢理に医者に見せたときは、すでに手遅れであった。
奥さん、ご主人は肺癌です。長くても、後三ヶ月の命でしょう。
この冷酷な医者の宣言に、私は呆然とした。
三ヶ月しかない命なら、片時も離れずに看病しよう。
そのために私は死んでも悔いはない、と、即刻入院。
その日から私は死にもの狂いであった。
苦痛から出る主人の愚痴も、怒鳴り声も、妻の私だけにしか言えぬ主人の甘えなのだと聞いてきた。
あぁ、うまい。あぁ、おいしい。
久しぶりに聞く主人の喜びの声に、みぞれの中を走ってきた甲斐があったと、しみじみした心地にひたっていた。
でも半分ほど食べたところで、主人の箸がとまった。
後はどれほど勧められても入らないようです。
おいしいぞ、おまえも食べよ
と、逆に私に勧めてきた。
私はとっさに、
私今お腹が一杯。また次ぎに頂くから
と、汚物入れにざーっと投げ捨ててしまった。
その時の主人の寂しそうな顔が未だに忘れられない。
おいしいぞ。おまえも食べよと勧められたとき、私の頭を電光のように走ったものは、「感染するのではないか」の思いであった。
その時、主人の病状は末期的で、唾液も濃い茶色に変わってきていた。
そんな主人の食べ残しを、しかも同じどんぶりと箸で食べたら・・・・。
癌は感染しないと聞いている。
頭ではわかっている。
しかも、主人の看病で、私も死んでも悔いはないと誓ったのは、つい先日のことではなかったか。
その私が、感染するのでは?と自分の身を守ることしかできない・・・・。
何という奴か、この私という女は。
「妻失格」の言葉が、づしんとした重さでのしかかってきた。
そして、過ぎ去った私の生きざまを、一つ一つ粉々に打ち砕いていった。
あの時、「おいしいねぇ」と笑って蕎麦を食べておったら・・・、という一部分の行為に対する後悔ではない。
妻失格の一つの出来事が、主人に、親に、こどもに対する生きざま全体が、「人間失格」の一語で否定し尽くされた。
私のこの事実との出遇が、思いがけず私の上に新しい世界を開いてくれた。
亡き主人は、生涯を尽くして、私に妻失格、人間失格を教えることをとおして、私を浄土に導いてくださった仏さまではなかったか・・・・。
近藤辰夫師の法話より
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