開 眼
人間は二度誕生すると言われています。
一度目はお母さんのお腹から人間の体を持って生まれてきます。
この一度目の誕生は、人間に限ったことではなく、全ての生物にあてはまることです。
犬も猫も、一度の誕生でその生き物として成長していきます。
口を大きく開けたら、何やら変なものがぶら下がっている。あれは何や?
と、問いかけた子どもがあったそうです。
口蓋垂という器官で、俗にはノドチンコと言われているものです。
この口蓋垂は、食べ物を飲み込むとき、気管の入り口をふさいで、食べ物が気管の中にはいらないようにするためのものです。
私たちは、水を飲んだり、食べ物を飲み込むとき、いちいち口蓋垂のことを気にしなくても、ちゃんと働いてくれています。
気がつくと、水も、空気も、光も、私に注いで欲しいとは意識しなくても、私を生かせようと私に働きかけています。
自分一人の力で生きているのではない、多くの支えの中で自分は生かされている、ということに気づくこと。それが「開眼」といわれます。その「開眼」に出合うことが、二度目の誕生と言われています。そこが、他の生き物と人間との違いなのです。
慚 愧
生かされていることに気づいたとき、私たちは自分の中を見つめていくことになります。
私たちは「してやった」と、いつも自負し、自分の中で恩を着せようとしています。
自分の思いで他人をどうこうしようと思ってしまいます。
そして、その通りにならなかったときは、相手の心の中を本当に知ることなく、怒りの心が頭を持ち上げてきます。
それを親鸞聖人は「虚仮の行」と言われました。
「虚」とはまさに字のごとく「実でないもの」です。「化」もまた「真でないもの」です。つまり、「真実でない」ものが「虚仮」なのです。
私が願わなくても、私を生かそうと私をいつも包み込んでいるものを知ったとき、私は私の生きざまに対して「大いなる慚愧」の念にかられるのです。「私を生かそうと私をいつも包み込んでいるもの」を仏教では「超日月光」と言います。太陽や月の光を遙かに超えた「生への願いの光」と言うことです。
人間はいつも「自分の思い通りになることが大好きで、思い通りにならないことは大嫌いと言いながら生きています」ね。
でも、今まで、思い通りになることと、思い通りにならないことと、どちらが多かったでしょうね。
おおいなる肯定
阿弥陀経の中には「青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光」という言葉が出てきます。
青い蓮は青い光を、黄色い蓮は黄色い光を・・・。つまり、それぞれがそれぞれの特色を精一杯表し、「君も居る。ぼくも居る」と、いのちを主張しているのです。
みんな必要なものばかり。いらない命は一つも無いと言うことです。
各各安立という言葉があります。
どんな人も、一人ひとり安心して立っていられなければならないのです。
いらない人間は一人もいないのです。
天親菩薩の言葉が伝えられています。
普共諸衆生という言葉です。
あまねく諸々の生きとし生けるものと共にという意味です。
つながり合って生きているのは竹藪の竹だけではないのです。私は他の人とつながり合っているのに、私にはそのつながりが見えないだけなのです。
生かされて生きていることに気づいたとき、尊い命の存在に対しての大いなる肯定が私の前に否応なくヒタヒタと包み込んで来るのです。
そうだった。そうだった。そのことをすっかり置き忘れていました と。
仏教の言葉で言えば、それは各各安立であり普共諸衆生ということです。
仏教の経典の中には「人権」という言葉がないようです。しかし、よくよく知らせてもらうと、本来の仏教は、大いなる人権の教えであったのですね。
お母さんの体を洗って来い
就職試験の面接で、社長さんが学生に言ったそうです。
あなたは今まで、お母さんの体を洗ってあげたことがありますか?
その学生は、そんな体験は一度もありませんでした。
社長さんは、
では、今日の就職の面接はこれで終わります。今日帰ったら、お母さんの体を洗って、明日もう一度来て下さい
と言われたそうです。
その学生は家に帰って母の帰りを待ちました。
お母さんは、行商をして暮らしを立てていました。
大きなタライに湯を入れて、学生は母の帰りを待ったのです。
嫌がる母に、今日の面接のことを言って、母の足を洗うことになりました。
女の足だから、さぞ細くて華奢な足だと思っていたのに、母の足は太く、堅くしまっていました。タコのできたその足を洗っていると、この母の足が私を今日まで育ててくれたんだと思うと、涙が止めどもなく出てきました。
次の日、会社で社長さんともう一度合うことになりました。
学生は、
社長さん、ありがとうございました。今まで一度も気づかなかったことに、昨夜、私は気づかせていただきました。この会社に採用されようとも、不採用になろうとも、そんなことよりも、もっと大事なことを私は身に着けることが出来ました
と言ったそうです。
その学生がどうなったかは、みなさんご想像ください。
人間として開眼した一人の人間の実話です。
-竹中哲さんの講演を聞いて-
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