88歳のお婆ちゃんが亡くなった。名前は「もん」さんという。お嫁に来て以来、こつこつと働いて、3人の息子と2人の娘を育て上げた。私は、その若い頃のお婆ちゃんのことは知らない。
秋の在家報恩講の季節になると、そのお婆ちゃんがやって来る。正信偈をあげ、次の家に行くと、またそのお婆ちゃんが、ちょこんと座敷に座っている。
あれぇ、このお婆ちゃんはいったいどこのおばあちゃん?
座敷童子(ざしきわらし)と言うのは聞いたことがあるが、まるで座敷婆みたい。
いつも日本手ぬぐいで姉さんかぶりをし、絣の着物に絣のもんぺ。腰は90度以上に曲がって、それでもシルバーカーを押して至って元気。
一日に三度は田圃や畑に出かけての農作業。お寺の法要には欠かさずお参りし、村で法事があると欠かさずお参り。息子たちは協力して大きな建設会社を作り上げた。もう、社長のお母さん。それでも、化粧一つするわけでもなく、もんぺ姿に姉さんかぶり。
日焼けして黒くなった顔には、人生のしわがくっきり・・・。
夕方5時まで、田圃の草取りをして、自分の小さな農作業小屋で一日の仕事を終えて一服。翌日の廃品回収のために段ボールを一輪車で運んでいた近所の女性が、
お婆ちゃん。今日の仕事は終わったの?
と声を掛けた。
ちょっとばかり耳が遠い。
うんうん
と頷いて・・・。
段ボールを置いて帰る途中、もう一度小屋を覗いてみると、お婆ちゃんが突っ伏していた。びっくりして、近所の人と救急車に乗せて・・・・。でも、くも膜下出血で帰らぬ人となってしまわれた。
人の陰口を言ったこともなく、愚痴の一つもこぼしたことがない。三人の息子たちは、ここ数年の間に次々と亡くなってしまった。
生前、言っていたという。
私の葬式は、花輪も要らない。香典もご遠慮してくれ。弔電が来ても読まないでくれ。
普通なら、社長のお母さん。さぞやにぎにぎしいお葬式になったであろうが・・・。
遺言通りのお葬式が行われた。
お棺の周りは白い花で埋め尽くされていた。
朗々と流れる正信偈の中で、親鸞様とともに浄土へ帰って行かれた。
飾られた遺影は、やはり絣の着物の普段のおばあちゃんの笑顔であった。いよいよ出棺というとき、村の若い者も皆が道ばたに出て、目を潤ませながら合掌して見送った。
一生を、絣のもんぺと姉さんかぶりで通した村の風物とでもいうおばあちゃんが浄土へ帰っていった。
01/06/02
本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
如来浄華の聖衆は
正覚のはなより化生して
衆生の願楽ことごとく
すみやかにとく満足す
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