明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
親鸞聖人が9歳の得度の時に詠まれた歌だと言うことを聞きましたが、どんな状況で造られたのかは全く知らずにいました。いや、お恥ずかしい。
実は初めて知ったのは「落語」からだったのです。知らなかったのは私だけだったのかも知れませんが。
親鸞聖人が得度(髪を剃って僧侶になること)されたのは、養和元年(1181)、9才の時でした。場所は京都の粟田口にある青蓮院でした。どうして出家することになったのかは、いろいろ切があります。
鴨長明の『方丈記』の中には、当時の京都の様子がありありと書かれていますので、そうした事も要因のひとつだったと思っています。そして、何かの都合で得度が日が暮れてしまい、もう外は暗くなっていきました。得度を執行する慈円和尚が、
得度の式は明日にしましょう
と言ったのに対して、歌で親鸞が応えたのです。
明日があると咲き誇って日延ばしにしていると、夜中の間に一陣の嵐がやってきて、満開の桜も散ってしまうこともあるのです。今日のことは今日やっておくことが大切ではないでしょうか。
ということだったようです。
一日の仕事を終えて、鉋屑や道具を整理して一日を終えていく律儀な大工とのやりとりの落語の中に出て来る段落でした。
因みに慈円という方は、安楽房が死罪に処せられた念仏弾圧の陰のフィクサーであったという説があります。梅原猛著『法然の哀しみ』の中に記されています。
私が本山で受けた得度式は、ご影堂の大戸を閉め切って、暗がりの中で行われるのはこの時の情景を再現した物と理解しています。
齢60有余年、老境になってきますと、毎日が忙しく感じてしまいます。今日のことは今日中にカタを付けてしまいたいと思うのですねぇ。
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