御文(おふみ)とは、親鸞聖人の八代後の蓮如上人が、全国の門徒の方々へ、仏法をわかりやすく解説して、手紙の形で伝えられたものです。千数百通あると聞いていますが、私は全部知りません。
その中の2~3通を原文紹介します。
今、読んでみると、とても難しい言葉使いのようですが、書かれた当時は、これでみんなが理解できたのです。
今の若い方は、カタカナ混じりの言葉や、略語などを使いこなしていますが、昔の人がタイムマシーンで飛んで来たら、きっとチンプンカンプンの言葉のように聞こえるでしょう。
よくよく読み込んでください。解らないことは、たくさんの文献がありますから、それを参考にされるのも良いでしょう。
それ、八万の法蔵をしるというとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとい一文不知の尼入道なりというとも、後世をしるを智者とすといえり。
しかれば、当流のこころは、あながちに、もろもろの聖教をよみ、ものをしりたりというとも、一念の信心のいわれをしらざる人は、いたずら事なりとしるべし。
されば聖人の御ことばにも、「一切の男女たらん身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるという事あるべからず」とおおせられたり。
このゆえに、いかなる女人なりというとも、もろもろの雑行をすてて、一念に、弥陀如来今度の後生たすけたまえと、ふかくたのみ申さん人は、十人も百人も、みなともに弥陀の報土に往生すべき事、さらさらうたがいあるべからざるものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
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