いのちの教え かつお


東井義雄さんの東井義雄「いのちの教え」という本の中から
  (ブックコード ISBN4-333-01571-5 C0095)

<転載許可済み>


けさ、学校に来がけに
母と言いあいをした。
ぼくは、どうにでもなれと、
母をボロクソに言い負かしてやった。
母は困っていた。

そしたら、学校で、昼になって、
母の入れてくれた弁当のふたをあけたら、
ぼくの好きなかつおぶしが
パラパラとふりかけてあった。
おいしそうに匂っていた。

それを見たら、
ぼくは、けさのことが思い出されて
後悔した。

母は、いまごろ
さみしい心で昼ごはんを食べているだろうか
と思うと
すまない心が、
ぐいぐい
込みあげてきた。


という詩です。今の子どもがお母さんを言い負かすくらい朝飯前のことです。輝雄君も、お母さんをやっつけて、得意になって登校したのでしょう。ところが、昼になって、お母さんか入れてくれた弁当の蓋をあけ、お母さんの心にであったのです。

 わが子に言い負かされて、何も言えなくなってしまったお母さんが、そういうわが子の大好きなかつおぶしを、ふりかけてやらずにおれない、仏さまのような母の心にであったとき、とめようと思ってもとめることのできない「すまないと思う心」が、込みあげてくるのです。

 仏さまのお心を「大悲」といいますが、お母さんをやっつけて得意になるやんちゃ者も、「大悲」にであうと、思いやりの心をもたずにはおれなくなるのです。 -東井 義雄-


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